JUGEMテーマ:お絵描き
飴細工ならぬ髪細工。
縁起の良い鶴を表現しようと、くちばし尖らせたところ
鋭利すぎてNGが入ったため
仕方なく短くした結果
ハトにしか見えなくなった。
]]>
JUGEMテーマ:お絵描き
アナログっぽくて良い。
]]>
JUGEMテーマ:お絵描き
JUGEMテーマ:つぶやき。
先日、すごくしっかりした女の子に
「爪の垢を煎じて飲ませてくれ!」
と言ったらドン引きされたって話。
いや、飲まんから。
というか、言葉の綾ですやん。
言葉がわからなかったのか
それとも、冗談がわからなかったのか。
……単にキモかっただけか。
]]>
comico PLUSに4コマ漫画を投稿しました。
さっそく、きわどいネタですね。
]]>JUGEMテーマ:お絵描き
cmico PLUSというサイトに投稿しました。
スライドでコマを進めるタイプで
オチが見切れないので、4コマ漫画向けだと思います。
ブログよりは読みやすいかと思います。
アダルト向けありのサイトなので注意が必要ですが
キワドイネタを描けるようにこちらを選びました。
楽しんでいただけると幸いです。
]]>
JUGEMテーマ:お絵描き
ほぼほぼ、室井佑月になる。
]]>JUGEMテーマ:お絵描き
JUGEMテーマ:コラム
ツインテールの思い出と言えば
初恋の人のこと。
小学生の時から好きだったその子とは
中学に上がり別々のクラスに。
中学は9クラスくらいあり、クラスが違えば
ほぼ交流はなくなってしまいます。
ところが、美術の授業で突然の再会が訪れました。
美術の授業は2クラス合同で行うのですが
それがたまたまその子のいるクラスになったわけで。
授業内容はデッサン。
先を尖らせた割りばしに墨をつけて描くというもの。
そのモデルに選ばれたのがその子でした。
恥ずかしそうに教壇にあがり、椅子に座ります。
私は使命感というか、執念というか
とにかく、誰よりも上手に、綺麗にその子を描こうと
そう思いました。
しかし、中学の美術で行う人物デッサン。
そうそう上手くは描けません。
何度描いても納得できない。
ツインテールをもっと美しく、とか
頬のラインはこうじゃない、とか。
指は細くて長い、とか。
休憩時間も、放課後も作業に費やしました。
きっと、先生も呆れていたことだと思います。
本来は人物デッサンの後、背景も描かなければならなかったのですが
私は先へ進むことができませんでした。
そして課題提出の日。
結局、私は提出することができませんでした。
採点は作業過程でつけられていたので、赤点とはなりませんでしたが
未完成のデッサンは、今でも実家の本棚で眠っています。
今思えば、私は何1つ、その子を見ていなかったのではないかと思います。
つまり、淡い恋心が妄想の中で描く理想の少女を描こうとしていたのかもしれません。
そんな人物は存在しないのですから、完成もあり得ないでしょう。
では、今なら描けるかーー?
どうでしょうね。
なんとなく、あの時のまま時間が止まっている気がして
そうすると、あの少女はもう存在しないわけですから
やはり、絵の完成はないのでしょう。
未完成の絵と気持ち。
ツインテールを見ると、そんなことを思い出します。
っていう妄想。
]]>
JUGEMテーマ:お絵描き
お嬢様っていうのは……
それでもいい匂いするんやろか。
]]>JUGEMテーマ:つぶやき。
まぁ別に悪口ってわけでもないし、このブログを見ている可能性も極めて低いので書きますと。
なんだか隣の住人が怪しい。
いや別に怪しくはないのだけど、余計な想像をしてしまう性分なのです。
さて、何の話かーー。
隣の住人は亀を飼っています。しかし、それは問題ではありません。
晴れた日なんかは、外で甲羅干しをさせているので、特段隠しているわけでもありません。
まず、1つ目の謎。
夜中にこちらが窓を開けると、隣の住民は大慌てで窓を閉めます。
1度や2度ではないので、私の窓を開けるという行為に反応しているのは間違いないと思います。
これが、夏場なら暑いからとも考えられます。
しかし、冬場になってもこれは続いているのです。
そうすると、ただの換気だとは思えなくなってきたのです。
では何のために……?
今日も、こちらが窓を開けると、いつものように慌てて隣の住人は窓を閉じました。
(隣の家とは仕切りーーと言ってもそんなに高くはないーーがあります)
その時、チャポンとかすかに水の音が。
そして、私の中で1つの仮説が生まれました。
これは『亀』が関係しているのではないだろうかーー。
つまり、亀の月光浴。
しかし日光浴なら、甲羅干しとして理解できるのですが
月光浴はどうにも無理があるかと。
ではこの仮説は間違っているのか?
確かに水の音はした。
この寒い中、わざわざ窓を開ける理由とは何なのか。
そして、慌てて窓を閉めるという行為。
ーー亀は関係ない?
つまり、水槽に入っているのは『亀』ではない、何かだと。
……これはホラーの予感がしますね。
水槽に入っているのは、液体の中でしか生きられない別の生き物なのではないか。
例えば、体を失ってしまった最愛の人。の頭とか。
それなら、二人で仲良く月光浴ってこともあり得ますね。
もしくは半魚人的な何かだろうか。
いずれにせよここは単身者向けのアパートなので
大家さんに怒られること必至です。
ま、結論から言うと、換気でしょうね。
]]>
JUGEMテーマ:コラム
アイディアはたいてい、情報のカオスから生まれる(発見される)ものだと思うのですが
これが意識して探すとなかなか見つからない。
頭の中にある様々な情報が、ある日突然ふと繋がり
1つの種になった時は思わずニンマリしてしまうのですが
育ててみると、それがとんだモノだったりするわけです。
メソッドを構築して、組み合わせのパターンなどは生み出せても
それが良いアイディアに繋がるとは限らない。
なんならマンネリ化の罠にはまる。
そんなことを考えていると、情報量と試行回数が膨大な人工知能って凄いなと思う今日この頃。
『鳥のエサに入っている麻の実を発芽させて育てた』という事件。
その話を聞いて、頭の中で淡い恋愛感情と繋がった自分の思考。
まず、鳥のエサに入っている麻の実は処理されていて基本的には発芽しないそうな。
でも、中にはそれを免れた実もあるらしい。(実際にあったから事件になっているわけで)
※細かい方法は割愛しますが、ニュース記事には思いっきり書いてあった
世の中にはたくさんの男女がいて、それらは多かれ少なかれ発芽の可能性を秘めていると。
つまりその感情が、果たして処理された種なのか、それともなんらかの可能性を持つ種なのかがわからないということ。
淡い恋心ってそんな感じかもしれないな、などと思うわけです。
男女と大麻草――。
共通点? まぁ、『どちらも吸うでしょう』ってとこでしょうか。(ナニを吸うのかに関しての質問はご遠慮ください)
それはさておき、淡い恋心の話。
つまり、「あ、なんかこの人いいな」って最初に思ったそれは、鳥のエサに混ざった麻の実みたいなものだと。
発芽するかどうかなんてわからないし、そもそもたいていの場合その時の小さな感情だけで終わらせてしまう。
※通常は処理されていて、発芽しない。って恋愛で言うと禁断の恋的な?
でも、そこに執念のようなものが合わさると、それを育ててみようと試みる。
男女における執念、大麻草における執念、それらは吸いたいという感情に他ならないわけですが(これさっき言ったな)
いずれにせよ、試みるわけです。
そう考えてみると、「好きになったけど育たなかったな」とか「育って恋愛関係が発芽したけど思ったのと違ったな」とか
「育ててよかったキモチイイー」など、両者における似た感情というものが存在するということを発見できます。
そんなことを考えて、これネタになるかな
いやいやそもそも元ネタが使えねぇよ。ということで素早く却下するわけです。
それでも、こんなくだらない思考の連結が、なんとか世の中の役に立たないものかと
くたばるまでがんばっていこうと思います。
]]>
JUGEMテーマ:お絵描き
すっかり寒い。
]]>
JUGEMテーマ:つぶやき。
恐山では、花の代わりに風車を供える。
辺りには硫黄の香りが立ちこめ
霊山から吹き下ろす風が
風車を静かに回し続けていた。
琴線に触れる、美しくも恐ろしい風景には
異界との繋がりを感じさせる何かがあるような気もする。
ふと思う。
実のところ、2つの世界には隔たりなどなく
それらは薄く、かつ濃密に重なり合っているのではないかと。
ただ必要なことは静寂であり
研ぎ澄まされた魂は、異界の魂に触れることを許されるのだ。
]]>
JUGEMテーマ:つぶやき。
『親のかたき』と『鰹のたたき』は似て非なるものですが
たたきにされた鰹の子どもからすれば
それはかたきになるわけです。
初秋は『戻り鰹』の旬なわけで、たくさんのかたき、
もしくはたたきが生まれるわけですね。
そんなことを考えていると、夜も眠れなくなりますが
それもまた、秋の夜長の良いところでしょうか。
]]>
JUGEMテーマ:つぶやき。
……知らんけども。
セミって幼虫の方が格好いい気がする。
]]>
JUGEMテーマ:つぶやき。
蝉の死がいを見ていると
なんとなく、夏の終わりを感じる今日この頃。
そうこうしているうちに、秋が来ますね。
『読書週間』と書きましたけど、『読書習慣』の方が正しいような気もします。
夏が嫌いなので、個人的には秋の方が断然テンションが上がります。
バイクは夏に向かないですからね。
それに、『一夏の○○シリーズ』というものに縁がなくて
夏が楽しいと思ったことがありません。
一方、秋が持つ空気感が好きです。
文化祭などのイベントが多いというのもあるのでしょうが
静けさの中にある情熱のようなものが、ひしひしと伝わってくる
気がします。そこには、期待感が溢れているのです。
吹奏楽部の練習音、演劇部の読み合わせ、文芸部の走らせるペンの音、などなど。
それらが、吸い込まれるように秋空へと昇っていく。
そういう様が、とても好きです。
祭りの準備をしているときのワクワク感は
小説のそれにもよく似ています。
ようは祭りが好きなのです。
]]>
JUGEMテーマ:つぶやき。
盆を過ぎると、海月が増えます。
海月が増えると、最悪、発電所がシャットダウンします。
発電所がシャットダウンすると、電気が使えません。
電気がなくても、ウッドベースは弾けます。
しかし、エアコンは動かないので、ジャズ研の部室は蒸し風呂のようです。
それでも、ウッドベースは響きます。ボンボンボン。
]]>
JUGEMテーマ:つぶやき。
『人狼ゲーム』が流行っていますが、『人狼』というと
押井守監督の映画を先に思い出してしまいます。
というわけで――
勝手に『滝川クリステルゲーム』というものを考えてみました。
人数は、何人でもいいです。
最悪1人でもできます(めっちゃ虚しいけど)
基本的にはリズムゲームで、今流行の『斉藤さんゲーム』(古くは、せんだみつおゲーム)
のようなものです。
まずスタートのAさんが、相手を指名して、適当に質問します
「Bさん、昨日の晩ご飯は?」みたいな。
指名されたBさんはそれに答えます。
「カレーライス」
Aさんは続けて
「滝川クリステル風に言うと?」と言います。
Bさんは
「カ・レ・ー・ラ・イ・ス。カレーライス」
と答えます。そして次の人を指名し、質問します。
それを延々繰り返すだけです。
やってみるとわかるのですが
「滝川クリステル風に言うと?」
が凄く言いにくいです。
もちろん、噛んだらアウトです。あと、笑ってもアウトです。
もしくは、ゲーム性を高めるために
『東京五輪招致』というワイルドカードを設定してもいいかもしれません。
これを質問として投げかけると、全員が
「お・も・て・な・し。おもてなし」
と答えなければならないといったものです。
このゲームを、夜中に1人でやって1人で笑ったので
私は人としてアウトだと思います。
]]>
JUGEMテーマ:つぶやき。
言いたいことは、タイトルの通りです。
素材がね。汗を吸わないですからね。
よく言われるのが、足の裏から出る汗の量は、『1日コップ1杯分』。
待てと。なんでコップで例えるねん。
コップは飲むための食器やないか。
500ミリビーカーとかにしとけよと。
(汗わきパッド12枚分とかでも良い)
「なんで、わざわざわかりにくい表現にするんですか?」
とか、言われたら、上記の理由ですって言えばいいやん。
「お前、その話聞いた後に、コップで水飲めるんか?」
と言ってやれば良い。
さて、こうも暑いと、どうでも良いことにいちいち腹が立ちます。
主に、蝉に対してです。
「ミーンミーンミーン」
――うるさいなぁ。
「ミーン……ミ?」
その「ん?」って感じで止めるのをやめろ。
逆に、何かあったんかと、気になるやないか。
これちょっとお医者さん呼ばなアカンのとちゃう、とか思ってまうやなかいか。
蝉には何の恨みもありません。
夏にも恨みはありません。
ただ、ここまで暑い必要はないやろと、そう思うだけです。
]]>
JUGEMテーマ:つぶやき。
巷では"ポケモンGO"が流行っていますね。
16の夏くらいの意味合い※で、一応触れて置きたいと思います。
先に言うと、肯定派でも否定派でもないです。
強いて言えば、危機感を覚えながらそこに一抹の希望を見いだす派でしょうか。
ポケモンGOにはAR(Augmented Reality)”拡張現実”という技術が使われています。
言葉の通り、現実を拡張する技術なわけですが、ここでは視覚の拡張ということになります。
つまり、見えないものを見ようとして、望遠鏡ではなくスマフォを持ち歩くわけですね。
言うまでもなくポケモンは存在しませんので、0と1で組まれたデータに過ぎません。
それを現実と重ね合わせ、あたかも存在するように錯覚させるわけです。
もっとも、ポケモンGOは収集的要素が強いので、ポケモンの存在を身近に感じて感動することは少ないかもしれません。
(本当にポケモンのファンで、見えるだけで感動する方もいると思います。しかし、流行にのってやっている人は、画面に映っているのがポケモンなのか、ただの空き缶なのかの区別もついていないでしょう)
そういう意味合いでは、本来のポケモンの方がきちんとしたストーリーがあって良いと思うのですが……。
(陣取りゲームとしてのドラマはあるのかもしれませんが)
しかし、フィクションに没頭できるというのは、良いことだと思います。
小説は脳内で補完して楽しむフィクションですが、それがスマフォに変っただけのことですから。
現代人が、まだ虚構を求めているということは、作り手としては救われます。
ストーリーによる現実の拡張で言えば、最近はリアル脱出ゲームがまさにそうでしょう。
しかし、ARに踊らされるということは、時に危険を伴います。
よそ見をしていて、交通事故――それは氷山の一角に過ぎません。
問題は、”見える”と"見えない”が現実社会の中で混在することの危険性です。
今の現象を例にするならば、ポケモンGOをやっている人にはポケモンが見えていて、やっていない人には見えていない。
同じ現実を舞台にして、”見えている人”と”見えていない人”が混在しているのです。
これはもう、超能力とか、霊感の話に近いわけですよ。
これが、ポケモンだから利害はほとんど発生していませんが
生活やビジネス、人間関係における有益、もしくは有害な情報、それらが見える人、見えない人に置き換えられるわけです。
見えない人にとっては、それは恐怖に近いですよね。例えば――。
「あ、そこにピカチューがおるで!」
「え? どこどこ?」
「ほら、そこや」
「あかん。俺には見えへん。見えるのは、その電柱のかげにおる幽霊だけや」
「え?」
「見えへんの?」
「怖いこと言うなよ」
「……(それはこっちのセリフや))」
現実と虚構。それらを重ねることは新しい体験になりますが、果たして人の精神が耐えられるのか。
と、そういう話です。
※ すぐに終わってしまう限定された時間の意。
]]>
JUGEMテーマ:つぶやき。
怖いことは認める。
それを覗くことが。
開けてみて、そこに何も無かった時のことを思うと、そりゃ目を逸らしたくもなる。
真実と対峙出来ないとき、たいていそういう理由(言い訳)がある。
ふと、『書く』とはそういう作業だと思った。
自分の持つ宝箱を覗き見たとき、中身がどうであれ
真実を受け止め、それを認めなければならない。
しかも、そういった類いのものは、映画の予告編のように断片的に開示されている。
車のボンネットを開けてみると、エンジンが載っていない――。
その車は、それまで走っていたか?
つまりは――やはり、何もなかった。
何もないとは、空白ではない(たぶん)。
形を成していないという話である。
それは単純に、形を与えなかったから。
形を与えるとは、折り合いをつけることであり
一通りの解決をみることである。
自らの内面に折り合いをつける、とはいったい何のことなのか――。
いかに自分が、目を逸らしてきたか、逃げてきたか、形を与えず放置してきたか
つまりは悪化。取り返しのつかない事態。
なんとも、お手上げである。
しかしまぁ、救いもある(希望的観測でもあるが)。
『頭の中空っぽの方が、夢詰め込める』
とも歌われている。
空白は空白で良いし、透明なら透明でそれはそれで良い。
しかし、それはまさにパンドラの箱だ。
開いたからには後戻りはできない。
無責任な言葉だが、どうにかするしかないのだ。
何もかも忘れて、腑抜けとして生きるのも良いだろう。
それが嫌なら、立ち向かうしかあるまい。
何もないことを知ったところで、何もないものは何もないのだ。
形を与え、意味を探し、折り合いをつける。
退屈せずにすむではないか。
開いたボンネットが空っぽだったなら、そこは花壇にでもすれば良い。
知っているだろうか?
宝箱の底には隠された扉がある。
どれだけ自分と向き合えたか。どれだけ折り合いをつけられたか。
最後にその扉を開くとき、そこに答えが待っているのだ。
]]>