盆に始まり、ボンに終わる。

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    jazz

     

    盆を過ぎると、海月が増えます。

     

    海月が増えると、最悪、発電所がシャットダウンします。

     

    発電所がシャットダウンすると、電気が使えません。

     

    電気がなくても、ウッドベースは弾けます。

     

    しかし、エアコンは動かないので、ジャズ研の部室は蒸し風呂のようです。

     

    それでも、ウッドベースは響きます。ボンボンボン。

     


    滝川クリステルゲーム。

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      『人狼ゲーム』が流行っていますが、『人狼』というと

       

      押井守監督の映画を先に思い出してしまいます。

       

      というわけで――

       

      勝手に『滝川クリステルゲーム』というものを考えてみました。

       

      人数は、何人でもいいです。

       

      最悪1人でもできます(めっちゃ虚しいけど)

       

      基本的にはリズムゲームで、今流行の『斉藤さんゲーム』(古くは、せんだみつおゲーム)

       

      のようなものです。

       

      まずスタートのAさんが、相手を指名して、適当に質問します

       

      「Bさん、昨日の晩ご飯は?」みたいな。

       

      指名されたBさんはそれに答えます。

       

      「カレーライス」

       

      Aさんは続けて

       

      「滝川クリステル風に言うと?」と言います。

       

      Bさんは

       

      「カ・レ・ー・ラ・イ・ス。カレーライス」

       

      と答えます。そして次の人を指名し、質問します。

       

      それを延々繰り返すだけです。

       

      やってみるとわかるのですが

       

      「滝川クリステル風に言うと?」

       

      が凄く言いにくいです。

       

      もちろん、噛んだらアウトです。あと、笑ってもアウトです。

       

      もしくは、ゲーム性を高めるために

       

      『東京五輪招致』というワイルドカードを設定してもいいかもしれません。

       

      これを質問として投げかけると、全員が

       

      「お・も・て・な・し。おもてなし」

       

      と答えなければならないといったものです。

       

      このゲームを、夜中に1人でやって1人で笑ったので

       

      私は人としてアウトだと思います。

       


      サンダルめっちゃ臭い。

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        言いたいことは、タイトルの通りです。

         

        素材がね。汗を吸わないですからね。

         

        よく言われるのが、足の裏から出る汗の量は、『1日コップ1杯分』。

         

        待てと。なんでコップで例えるねん。

         

        コップは飲むための食器やないか。

         

        500ミリビーカーとかにしとけよと。

        (汗わきパッド12枚分とかでも良い)

         

        「なんで、わざわざわかりにくい表現にするんですか?」

         

        とか、言われたら、上記の理由ですって言えばいいやん。

         

        「お前、その話聞いた後に、コップで水飲めるんか?」

         

        と言ってやれば良い。

         

        さて、こうも暑いと、どうでも良いことにいちいち腹が立ちます。

         

        主に、蝉に対してです。

         

        「ミーンミーンミーン」

         

        ――うるさいなぁ。

         

        「ミーン……ミ?」

         

        その「ん?」って感じで止めるのをやめろ。

         

        逆に、何かあったんかと、気になるやないか。

         

        これちょっとお医者さん呼ばなアカンのとちゃう、とか思ってまうやなかいか。

         

        蝉には何の恨みもありません。

         

        夏にも恨みはありません。

         

        ただ、ここまで暑い必要はないやろと、そう思うだけです。

         


        "ポケモンGO"虚構と現実の先にあるもの――。

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          巷では"ポケモンGO"が流行っていますね。

           

          16の夏くらいの意味合い※で、一応触れて置きたいと思います。

           

          先に言うと、肯定派でも否定派でもないです。

           

          強いて言えば、危機感を覚えながらそこに一抹の希望を見いだす派でしょうか。

           

          ポケモンGOにはAR(Augmented Reality)”拡張現実”という技術が使われています。

           

          言葉の通り、現実を拡張する技術なわけですが、ここでは視覚の拡張ということになります。

           

          つまり、見えないものを見ようとして、望遠鏡ではなくスマフォを持ち歩くわけですね。

           

          言うまでもなくポケモンは存在しませんので、0と1で組まれたデータに過ぎません。

           

          それを現実と重ね合わせ、あたかも存在するように錯覚させるわけです。

           

          もっとも、ポケモンGOは収集的要素が強いので、ポケモンの存在を身近に感じて感動することは少ないかもしれません。

          (本当にポケモンのファンで、見えるだけで感動する方もいると思います。しかし、流行にのってやっている人は、画面に映っているのがポケモンなのか、ただの空き缶なのかの区別もついていないでしょう)

           

          そういう意味合いでは、本来のポケモンの方がきちんとしたストーリーがあって良いと思うのですが……。

          (陣取りゲームとしてのドラマはあるのかもしれませんが)

           

          しかし、フィクションに没頭できるというのは、良いことだと思います。

           

          小説は脳内で補完して楽しむフィクションですが、それがスマフォに変っただけのことですから。

           

          現代人が、まだ虚構を求めているということは、作り手としては救われます。

           

          ストーリーによる現実の拡張で言えば、最近はリアル脱出ゲームがまさにそうでしょう。

           

          しかし、ARに踊らされるということは、時に危険を伴います。

           

          よそ見をしていて、交通事故――それは氷山の一角に過ぎません。

           

          問題は、”見える”と"見えない”が現実社会の中で混在することの危険性です。

           

          今の現象を例にするならば、ポケモンGOをやっている人にはポケモンが見えていて、やっていない人には見えていない。

           

          同じ現実を舞台にして、”見えている人”と”見えていない人”が混在しているのです。

           

          これはもう、超能力とか、霊感の話に近いわけですよ。

           

          これが、ポケモンだから利害はほとんど発生していませんが

           

          生活やビジネス、人間関係における有益、もしくは有害な情報、それらが見える人、見えない人に置き換えられるわけです。

           

          見えない人にとっては、それは恐怖に近いですよね。例えば――。

           

          「あ、そこにピカチューがおるで!」

           

          「え? どこどこ?」

           

          「ほら、そこや」

           

          「あかん。俺には見えへん。見えるのは、その電柱のかげにおる幽霊だけや」

           

          「え?」

           

          「見えへんの?」

           

          「怖いこと言うなよ」

           

          「……(それはこっちのセリフや))」

           

          現実と虚構。それらを重ねることは新しい体験になりますが、果たして人の精神が耐えられるのか。

           

          と、そういう話です。

           

           

          ※ すぐに終わってしまう限定された時間の意。

           


          誰しもが持っている宝箱

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            怖いことは認める。

             

            それを覗くことが。

             

            開けてみて、そこに何も無かった時のことを思うと、そりゃ目を逸らしたくもなる。

             

            真実と対峙出来ないとき、たいていそういう理由(言い訳)がある。

             

            ふと、『書く』とはそういう作業だと思った。

             

            自分の持つ宝箱を覗き見たとき、中身がどうであれ

             

            真実を受け止め、それを認めなければならない。

             

            しかも、そういった類いのものは、映画の予告編のように断片的に開示されている。

             

            車のボンネットを開けてみると、エンジンが載っていない――。

             

            その車は、それまで走っていたか?

             

            つまりは――やはり、何もなかった。

             

            何もないとは、空白ではない(たぶん)。

             

            形を成していないという話である。

             

            それは単純に、形を与えなかったから。

             

            形を与えるとは、折り合いをつけることであり

             

            一通りの解決をみることである。

             

            自らの内面に折り合いをつける、とはいったい何のことなのか――。

             

            いかに自分が、目を逸らしてきたか、逃げてきたか、形を与えず放置してきたか

             

            つまりは悪化。取り返しのつかない事態。

             

            なんとも、お手上げである。

             

            しかしまぁ、救いもある(希望的観測でもあるが)。

             

            『頭の中空っぽの方が、夢詰め込める』

             

            とも歌われている。

             

            空白は空白で良いし、透明なら透明でそれはそれで良い。

             

            しかし、それはまさにパンドラの箱だ。

             

            開いたからには後戻りはできない。

             

            無責任な言葉だが、どうにかするしかないのだ。

             

            何もかも忘れて、腑抜けとして生きるのも良いだろう。

             

            それが嫌なら、立ち向かうしかあるまい。

             

            何もないことを知ったところで、何もないものは何もないのだ。

             

            形を与え、意味を探し、折り合いをつける。

             

            退屈せずにすむではないか。

             

            開いたボンネットが空っぽだったなら、そこは花壇にでもすれば良い。

             

            知っているだろうか?

             

            宝箱の底には隠された扉がある。

             

            どれだけ自分と向き合えたか。どれだけ折り合いをつけられたか。

             

            最後にその扉を開くとき、そこに答えが待っているのだ。

             

             

             



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